「PayPayで給与を受け取りたいんですが」 そんな従業員からの一言に戸惑った実務担当者も多いのではないでしょうか? 近年、現金を持たない若年層や、銀行口座を持たない外国人労働者の増加により、給与の支払い方法も新たな選択肢が求められるようになりました。 そこで、注目されるようになったのが「賃金のデジタル払い」です。 本記事では、賃金のデジタル払いの仕組み・導入方法・実務上の注意点までを、実務担当者の視点でわかりやすく解説します。 制度の正しい理解と、自社に合った対応方法を知るためにも、ぜひ最後までご覧ください。
賃金のデジタル払いとは、従来の現金手渡しや銀行口座振込に代わり、厚生労働大臣の指定を受けた資金移動業者(例:PayPay・楽天ペイなど)の口座を通じて給与を支払える制度です。
この制度が生まれた背景には、現代社会の大きな変化があります。具体的には次の3つが挙げられます。
1. キャッシュレス決済の普及
近年、スマートフォンひとつで買い物が完結する「キャッシュレス」が当たり前になりつつあります。とくにZ世代や若年層では、現金を使わない人が急増しており、給与の受け取りもキャッシュレスで完結したいというニーズが強まっています。
2. 銀行を介さない送金サービスの登場
個人間送金がPayPayで簡単にできるようになったことも、制度創設の追い風となりました。
「給与もPayPayで受け取れたら便利なのに」という声が高まり、従来の銀行振込以外の支払い方法が注目されるようになりました。
3. 外国人労働者の受け入れ拡大と課題
日本で働く外国人の中には、日本の銀行口座を開設できない、もしくは非常に時間がかかるケースも多くあります。これにより企業側が現金払いで対応せざるを得ず、管理やトラブル対応に追われることがあります。
このような社会背景を踏まえて、政府は「現金」や「銀行振込」に加え、第3の給与支払い手段として、「賃金のデジタル払い」を制度化しました。
「本当にPayPayで給料を払っていいの?」このように制度導入を検討するうえで、まず気になるのが法的な根拠ではないでしょうか。
結論から言えば、賃金のデジタル払いは労働基準法の原則を踏まえたうえで、一定の条件を満たせば法的に認められる制度です。ここでは導入のために必要なルールをわかりやすく整理します。
労働基準法第24条では、賃金支払いに関する以下の「5原則」が定められています。
・通貨払いの原則
・直接払いの原則
・全額払いの原則
・毎月払いの原則
・定期日払いの原則
賃金のデジタル払いと深く関係しているのが、「通貨払いの原則」と「直接払いの原則」です。
・通貨払いの原則:賃金は原則として現金(日本円)で支払わなければならない。
・直接払いの原則:使用者は労働者本人に賃金を直接支払わなければならない。
この原則により、「現金手渡し」が基本とされてきました。
しかし、社会の変化を受け、以下のような例外が認められるようになりました。
・労働者本人の書面同意を得たうえでの銀行口座振込
・指定資金移動業者の口座を用いた賃金支払い(賃金のデジタル払い)
つまり、労働者の同意が前提であれば、法的にもPayPayなどで給与を受け取ることが可能となります。
賃金のデジタル払いを導入するには、企業と労働者の双方で次の3つの条件を満たす必要があります。
① 労使協定の締結
企業はまず、労働者の過半数の代表者、または労働組合と「労使協定」を締結しなければなりません。労使協定には次の内容を明記する必要があります。
・対象となる労働者の範囲
・対象となる賃金の範囲とその金額
・取扱指定資金業者の範囲
・実施開始時期
この労使協定を就業規則や賃金規程とも整合させておきましょう。
② 指定資金移動業者を使用
注意すべきポイントは、どのキャッシュレス決済でも使えるわけではないという点です。賃金のデジタル払いが許可されるのは、厚生労働大臣が指定した資金移動業者に限られます。
2025年4月4日時点で、以下の4社が厚生労働大臣の指定を受けています。
・PayPay株式会社
・株式会社リクルートMUFGビジネス
・楽天Edy株式会社
・auペイメント株式会社
厚生労働省のHPでは、最新の「指定資金移動業者一覧」が公開されています。導入検討時には必ず確認しましょう。
③ 労働者の個別同意の取得
労働者本人の同意が必要なのも重要なポイントです。会社が一方的に制度を導入し、労働者全員に強制することはできません。同意を得る際には、以下の情報も併せて確認・取得しておきましょう。
・デジタル払いでの受け取りを希望する賃金の範囲と金額
・指定資金業者名および賃金の受け取り先となる口座情報
・支払い開始希望時期
・銀行などの指定代替口座情報 等
なお、同意は、書面でなく電磁的記録によることも可能です。
労働者が希望しない場合は、銀行口座などで賃金を受け取ることができます。また、雇用主は希望しない労働者に賃金のデジタル払いを強制してはいけません。この選択制が制度の根幹にあるため、導入する企業は制度の丁寧な説明と、運用ルールの整備が必須となります。
併せて、以下のポイントも押さえておきましょう。
・労働者の同意がない場合や強制した場合には労働基準法違反となります ・現金化できないポイントや仮想通貨での賃金支払いは認められません |
制度の導入には一定の準備や社内調整が必要ですが、「賃金のデジタル払い」は単なる一時的な流行ではなく、企業にとって実務上の効果が明確な施策です。ここでは、実際に導入した場合に期待できる主な効果を3つご紹介します。
賃金のデジタル払いを導入すると、銀行振込にかかる手数料を削減できる可能性があります。以下のような状況では、より効果が出やすいでしょう。
・アルバイトやパートを多く雇用していて、振込件数が多い
・日払いや週払いなどの柔軟な支払いが必要
・一部従業員に現金手渡しで給与を支給している
例えば、PayPayのようなキャッシュレスサービスでは、無料または低コストで送金が可能なケースもあり、従来の銀行振込に比べてコスト面での優位性が出てきます。また、給与支払いをデジタルに移行することで、手作業による業務負担の軽減や振込処理の自動化に繋がる可能性もあります。
自然災害やシステムトラブルなどで銀行のネットワークが使えなくなったとき、給与の支払いが滞ると従業員の生活に直結する問題になります。そのような緊急事態に備えて、賃金のデジタル払いを導入しておけば、以下のような場面でも迅速な対応が期待できます。
・企業が銀行振込をできないときでも、給料を送金できる
・従業員が銀行ATMを利用できなくても、スマホに給料が着金し利用できる
・災害時の一時金や支援金のスピード対応が実現できる
また、複数の給与支払い手段を用意することは、BCP(事業継続計画)の観点でも企業評価に繋がる取り組みです。
賃金のデジタル払いは、従業員のライフスタイルや雇用形態に合わせて給与の受け取り方法を柔軟に選べる仕組みです。これにより、多様な人材に対応できる企業としての体制を築くことができます。特に以下のような層にとっては、大きなメリットとなります。
・スマートフォン中心に生活するZ世代などの若年層
・銀行口座の開設が難しい外国人労働者
・単発・短期雇用で、すぐに給与を受け取りたい人材
このような人材のニーズに応えることで、企業側は「柔軟な働き方に対応している」「時代に合った給与の支払い方法を取り入れている」といったポジティブな印象を与えることができます。
また、賃金のデジタル払いを導入することは、採用活動や企業のブランディングにもプラスになります。
・給与の受け取り方法を選べる企業として差別化できる
・外国人や副業人材も安心して働ける環境を整えられる
・柔軟で働きやすい企業としてのメッセージを発信できる
このように、賃金のデジタル払いは、単なる給与支払い手段にとどまらず、人材の多様化に対応し、企業の魅力を高める施策としても有効です。
PayPayをはじめとする「賃金のデジタル払い」は、企業と従業員双方にメリットがある制度です。しかし、制度を正しく運用するには、事前に押さえておくべき注意点がいくつかあります。ここでは、導入前に必ずチェックしておきたい3つのポイントを整理します。
指定資金移動業者の口座残高の上限額は100万円以下と定められています。また、2025年4月4日時点の指定資金移動業者では、口座残高の上限額を10万円~30万円で設定されています。このため、以下のようなケースでは注意が必要です。
・給与額に応じて、従業員には一部しか送金できない可能性がある
・ボーナス支給などで、一時的に上限を超える恐れがある
導入を検討する段階から、指定資金移動業者ごとの口座残高の上限金額を確認しておきましょう。
賃金のデジタル払いでは、従業員がPayPayなどの口座を利用するだけでなく、指定代替口座(銀行口座)の登録が必要です。次の場合、指定代替口座が使用されます。
・デジタル口座の残高が上限を超えた場合 → 自動で指定代替口座に払い出しされる
・指定資金移動業者が万一破綻した場合 → 指定代替口座を通じて保証額が弁済される
ただし、以下のような状態だと支払いが滞るおそれがあります。
・登録された指定代替口座が解約済み、または名義に誤りがある
・指定代替口座が未登録のままになっている
このことから、導入前に、全従業員の指定代替口座の情報が最新かどうかを確認しておきましょう。
「もしPayPayの口座から不正にお金が引き出されたら?」という心配もありますが、以下のような利用者保護の措置が講じられています。
・口座所有者に過失がない場合、損失全額が補償される
ただし、損失発生の翌日から30日以内といった一定の期間内に指定資金移動業者への通知が必要となる場合もあります。また、補償内容や補償期間は、指定資金移動業者ごとに異なるため、「どの業者を使うのか?」「どんな補償内容があるのか?」を事前に確認し、万が一のトラブル時にも備えておきましょう。
このように、賃金のデジタル払いは、制度の仕組みや運用ルールを正しく理解したうえで導入することが重要です。従業員に安心して使ってもらえるよう、導入前の準備と説明体制をしっかり整えておきましょう。
賃金のデジタル払いは、すべての企業にとって「導入すべき」とは限りません。この制度を自社に取り入れるべきかを判断するには、「自社の人員構成」や「給与支払い業務の実態」と照らし合わせる必要があります。ここでは、導入に適している企業・慎重に検討すべき企業の特徴を明確にしながら、判断の軸を整理します。
①外国人や短期雇用の従業員が多い
日本の銀行口座を持てない外国人労働者や、単発・日雇いなど短期雇用の従業員にとって、賃金のデジタル払いは実用的です。スピーディに支給できる点や、スマートフォンだけで受け取り可能な点が大きな魅力です。
【想定される業種例】
・飲食・宿泊・建設・製造などの現場系の業種
・外国人技能実習生を受け入れている業種
・繁忙期に単発バイトや副業人材を活用する業種
② 従業員からニーズがある
若年層などを中心に「PayPayで給料がもらえたら便利」「現金や銀行よりアプリ派」という意見が出ている企業では、対応することで満足度やエンゲージメントの向上にもつながります。
③ 振込コストや事務の手間を減らしたい
振込手数料の削減や振込作業の効率化を図りたい企業にも、賃金のデジタル払いは効果的です。無料もしくは低コストでの送金が可能なサービスもあり、振込件数が多い企業では特にメリットが大きくなります。
①高齢層中心の職場や、ITが苦手な従業員が多い
スマートフォンの操作やアプリの利用が不慣れな従業員が多い場合、導入そのものが混乱を招くリスクがあります。アプリの設定や残高管理が心理的な負担になることも想定されます。
②導入の手間をかけられない
賃金のデジタル払いの導入には、就業規則の見直しや、労使協定の締結、個別同意の取得が必須です。これらの準備に手間や時間をかけられない状況での導入は、後々のトラブルにつながる恐れがあります。
③給与振込業務を一元管理したい
銀行振込のみで管理体制を維持している企業では、賃金のデジタル払いの併用が管理の煩雑化を招く可能性もあります。給与計算システムや経理処理の運用変更に耐えられる体制かどうか、事前確認が必要となります。
1. 従業員から実際のニーズがあるか?
単なる流行ではなく、「本当に使いたい」という声が上がっているか、現場の声に耳を傾けましょう。
2. コストと業務負担のバランスは見合っているか?
現状の振込手数料や工数と、導入に伴う変更コストや新たな業務を比べて、メリットが上回るかを見極めましょう。
3. 現場の運用体制が整うか?
労務・経理・システム部門が連携し、制度導入後も安定的に運用できる体制が整っているかを確認しましょう。
制度の導入を検討する際には、上記3つの視点で自社を分析することが重要です。導入判断に迷う場合や、制度の運用に不安がある場合は、次章で紹介するように社労士など専門家のサポートを活用するのもひとつの方法です。
「賃金のデジタル払い」は、働き方改革や多様な人材の受け入れに対応する、これからの時代に適した制度です。しかし、その一方で、法的要件・制度設計・実務運用といった複数の観点から慎重に検討しなければならない点も多くあります。
・どのように就業規則を変更すればいいのか
・労使協定はどのように締結するのか
・トラブルが起きたときの対応はどうすればよいのか
このような実務上の悩みは、導入を検討する企業にとって大きなハードルとなります。そこで、頼りになるのが社労士の存在です。
社労士は、労働・社会保険に関する専門家として、企業の制度導入を実践的に支援してくれます。賃金のデジタル払いを導入する際にも、次のような場面で心強い味方となってくれます。
① 就業規則・賃金規程の整備
賃金のデジタル払いを導入するには、就業規則や賃金規程との整合性をとる必要があります。社労士は、現状の規程を確認し、必要な条文追加や修正を法令に沿って対応することが可能です。
② 労使協定の締結支援
賃金のデジタル払いを導入するには、労働者の過半数の代表者、または労働組合と労使協定を締結する必要があります。社労士は、労使協定に盛り込むべき内容を明確化し、企業の実態に合った形で書類作成から締結までをトータルでサポートします。
③ リスク管理と運用アドバイス
賃金のデジタル払いの導入後には、労働者の同意取り消し、退職時の処理など、様々なリスクに備える必要があります。社労士は、起こりうるリスクを事前に洗い出し、トラブルを未然に防ぐためのルール整備を支援します。
制度導入そのものはスタートにすぎません。重要なのは、それを現場で「無理なく」「継続的に」運用できるようにすることです。社労士は、単なる法令対応だけでなく、以下のように現場に根づいた制度づくりを支援します。
・法律と実務のバランスを取ったアドバイス
・企業の業種や規模に応じた柔軟な制度設計
・導入後も伴走し、見直しや改善まで一貫してサポート
また、賃金のデジタル払いは、単なる給与の支払い手段にとどまらず、企業が多様な人材と向き合い、柔軟な働き方を実現するための重要なステップでもあります。制度を活かすためには、次のような視点での検討が欠かせません。
・自社の実態に合っているか
・従業員が安心して利用できる仕組みになっているか
・長期的な運用を見据えているか
こうした判断や制度設計の過程では、社労士の豊富な知見と実務経験が大きな支えになります。制度を「形」だけで終わらせず、「使える仕組み」に変えるためにも、社労士を活用しましょう。
賃金のデジタル払いを導入するには、ここまで説明したような法的要件や社内体制の整備など、いくつかのステップが必要です。ここでは、実務担当者の視点で「現場でそのまま使える導入の流れ」を7ステップでわかりやすく解説します。
【Step1】指定資金移動業者を確認する ☑チェックポイント |
【Step2】従業員のニーズを整理する ☑チェックポイント 最初は希望者だけに導入して、様子を見ながら拡大していくのが現実的でおすすめです。全社導入にこだわらず、「できるところから少しずつ」がポイントです。 |
【Step3】労使協定を締結し、就業規則も確認する ☑チェックポイント 労使協定は厚生労働省のひな形を活用しつつ、就業規則の変更も必要かどうかも確定しましょう。社労士と連携することでスムーズに整備できます。 |
【Step4】従業員に説明を行う ☑説明ポイント 従業員への説明は、企業から指定資金移動業者に委託できます。ただし、委託した指定資金移動業者が従業員への説明を怠った場合には、従業員への説明が行われたとは認められず、労働基準法に違反することになります。また、指定資金移動業者以外への説明の委託はできません。 |
【Step5】個別同意を取得する ☑同意時の確認事項 従業員への説明を指定資金移動業者に委託した場合でも、従業員の同意については企業自らが得る必要があります。 |
【Step6】給与支払いの業務フローを見直す ☑チェックポイント |
【Step7】運用ルールの整備と定期的な見直し ☑想定すべき運用ルール |
賃金のデジタル払いは、キャッシュレス決済の普及や送金サービスの多様化を背景に生まれた、新しい給与の支払い方法です。PayPayをはじめとする指定資金移動業者のサービスを活用することで、現金や銀行口座を使わずに給与を支払うことが可能になります。
導入には、労使協定の締結、労働者の個別同意の取得など、いくつかの条件をクリアする必要があります。しかし、その分、導入によって得られる効果も大きく、コスト削減や非常時対応、多様な人材への配慮や採用といった様々なメリットが期待できます。
一方で、制度の内容を十分に理解しないまま導入を進めてしまうと、トラブルや混乱を招く恐れもあります。制度は「導入すれば終わり」ではなく、「無理なく継続的に運用できる仕組み」として現場に定着させることが重要です。そのためには、社労士を活用することが効果的です。制度設計から規程整備、リスク管理、導入後の運用まで、実務に即したサポートを受けることで、安心して制度を取り入れることができます。
賃金のデジタル払いを自社の課題解決や新たな成長のきっかけにするためにも、制度の正しい理解と段階的な導入ステップを踏まえて、貴社に最適な形での活用を検討してみてはいかがでしょうか。
労務の灯台 編集部
ハタラクデザイン合同会社が運営するWebメディア「労務の灯台」編集部。様々な角度から社労士の関連情報をお届けすることで、自社の価値観に合った社労士を見つけてもらいたいと奮闘中。